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活動報告ブログ - 2019年5月

2019年05月01日(水)

新たな時代の幕開け

本日(5月1日)、新天皇、皇后両陛下が即位され、新たな元号『令和』が始まりました。また、当地も本日から丹波篠山市として新たな歩みを始めました。田園交響ホールでは、『丹波篠山市誕生・市制20周年 記念式典』も開催されました。

この新たな時代の幕開けに際し、以前の私の発言等を振り返りながら、思いを綴ってみようと思います。

平成24年2月28日、私は一般質問のなかで、次のような思いを述べさせていただきました。

大正末期から昭和にかけて駐日フランス大使を務めたポール・クローデルは、その在任期間中に関東大震災が発生した際、極度の混乱の中にあっても、身に降りかかった不幸を淡々と受け止め、秩序と礼節を忘れない日本人の姿勢に感銘を受けたと記しています。
 そして、太平洋戦争での日本の敗戦が濃厚となった昭和18年には、「日本は貧しい。しかし高貴である。世界で一つ、どうしても生き残って欲しい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ。」と述べたことでも知られています。
 それと同様に、東日本大震災直後、避難所等での「被災者の節度ある振る舞い」が、世界中から称賛を受けたのは記憶に新しいところです。
 時を経てもなお失われずに脈々と受け継がれて来た、世界が称賛する日本社会の道徳観。この原点はどこにあるのでしょうか。
 この原点をしっかりと認識することこそが、これからの社会の担い手育成・対策の礎になるのではないかと私は考えます。

 フランスの報道番組では、「震災後なぜ日本人は冷静なのか」について、次のように解説しています。「日本人は悲観的でない運命論者なのです。運命に身を委ねるのです。災害がいかに大きなものでも、日本人の受け答えは、実に立派なものです。それはおそらく、自然の力を崇拝する神道が教えるところの態度なのでしょう。日本では、人間は自然の一部なのです。云々」と。
 厳しい自然環境や狭い国土の中で、人間が生き残るために有効な制度として自然発生的に生じた日本社会の道徳観。これを守り、継承させるための手段として生まれた日本の伝統文化。
 ポール・クローデルが存続を望んだのは、単に血の集団としての日本民族ではなく、その道徳観の後継者、担い手集団としての日本人であったのではないでしょうか。
これらを踏まえると、この日本社会の道徳観こそが、世界における日本の存在意義の原点ではないかと考えます。

 地縁と血縁はセットで語られることが多く、日本人としてのアイデンティティーの継承にはこの両方が必要であると思われがちですが、果たしてそうでしょうか。
 血縁は生物としての肉体を形作り、次世代へと継承されるもの、つまり、生物としての継続性に由縁するのに対し、アイデンティティーの核心は心や精神であり、それらは成長の過程で育成されるものです。
 日本のアイデンティティーの継承とは、地縁の中で育まれる「社会性や精神の継続性」にこそ、その意味があります。
 この「心のDNA」は血統のみに受け継がれるものではなく、むしろ地縁が伝えていくものであり、言うならば誰でもが継承できうるものであります。古来、この「心のDNA」は、集団で行う農作業や村の祭り等々、日々の暮らしの中に溶け込んでいた年中行事の中で自然と継承され、システムとして働いてきました。
 それとともに、「山や川にも神が宿り、また、貧乏神でも神さん、疫病神でも神さん」という「八百万」の世界観の中で、「悲観的でない運命論者である」という日本人としての精神性も育まれてきました。
 しかし、戦後、この日本社会の道徳観を形成する、日本人の精神的主柱、背骨に関しては、政治行政や公教育の場において、意識して取り上げられることが少なくなりました。
 先ほども述べたように、かつて年中行事が、自然とこの日本社会の道徳観を継承させるシステムとして働いていたとするならば、社会の変化に伴い人間関係が希薄になるにつれて、この自動継承システムが働かなくなることを意味します。
 このままでは、「日本人なら、分かるはず」という、当たり前の感覚が通用しなくなることを意味しています。そうであるならば、今こそ、私たち自身がその道徳観を形成する、日本人の精神的主柱、背骨をしっかりと意識し、自覚を持って伝えていかなければなりません。

 孫子の兵法に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずや」とあります。
 国際化の中で、競争相手を研究することはもちろんですが、その前に、自らを知るということこそがさらに重要なのです。

 さて、私は、これまでの一般質問において、ほぼ毎回、白い小さな犬が一家の父親を演じる不思議なコマーシャルについて、「おかしくないですか」という問いかけをしてきました。
 中国大陸や朝鮮半島は、伝統的に血統を重んずる社会です。
 このことは、現在でも、韓国の民法809条で、男系血族の配偶者・夫の血族・8親等以内の姻戚間婚姻の禁止を規定している事からも分かります。
 また、10年ほど前までは、同姓同本の婚姻も禁止されていました。彼らの社会での夫婦別姓制度は、ここに起因しています。
 血統・血筋を重んじてこそ高度な人間社会であると考える人々から見ると、「犬や猫など動物の社会は、血統・血筋などお構いなしである。
 つまり、血統・血筋を重視しない社会や集団、民族は、まさしく『犬・猫同様の社会』である」となるわけです。また、こういった社会・集団、民族をさして、韓国朝鮮語には「犬の子」と言う表現もあるほどです。

 振り返って日本では、姻戚間婚姻が容認されるなど、血統の保持にそれほど強く固執しないため、この犬のコマーシャルは、まさに、「日本社会に対する蔑視と自民族優越主義」を鼓舞する密やかなメッセージではないかと勘ぐられても仕方がありません。
 実際に、ネット上等では、そういった観点からの主張も増えつつあります。
 当初、私もそのような意図があるのではないかと考えておりました。しかし、民族間に大きな確執を生む可能性を秘めたメッセージを、あれほど単純に発信するとも思えず、逆に、更に深い問題提起があるのではないかとも考えるようになりました。

 あの犬の家族の名字は、白戸家。犬のお父さんの名前は、次郎。
 我が県出身で、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白州次郎と、わずか一字違い。この、わざわざ白州次郎を連想させるようネーミングも、何の意図もなく偶然に作られたものとは、私には到底思えません。
 後日、佐野眞一著 「あんぽん 孫正義伝」を読むに至り、この思いは確信に変わりました。孫正義氏の生い立ちを祖父母の代から遡って記したこの著書では、あのコマーシャルについてはほとんど触れられていませんし、今私が述べたような視点からの考察は一切ありません。
 しかし、この本を読み、改めてこのコマーシャルに向き合ってみると、そこから見えてきたのは、「相手のことも、ましてや、自分たちのことも、全く知ろうとしなくなった日本社会」への隠された問題提起ではないかということです。
 つまり、私は、あのコマーシャルに込められた本当のメッセージは、同胞に対しては、「血統のみに執着して自己満足の世界に溺れてしまうようでは、いつまで経っても世界から尊敬される存在にはなれない」という戒め、日本人に対しては、「血統のみにこだわることなく、寛容の精神を持って、数代にわたり日本社会の中で、ともに生きてきた我々を心のDNAの継承者として受け入れて欲しい」という呼びかけではないだろうかと考えるに至りました。
 日本人を軽蔑するのではなく、むしろ逆に、血統のみにこだわることの無意味さを説くとともに、日本人の寛容の精神を賞賛し、そして、これからもその高い道徳観を形成する、日本人の精神的主柱、背骨を大切に受け継いでいくよう、私たちに伝えようとしているように思えてなりません。
 これはまさしく、これから国際化が進むなかでの日本の国家の在り方、その存在意義に対する問いかけであるとともに、国家を構成する日本の地域社会の在り方についても、今一度考えさせられる問題提起ではないでしょうか。
 私は、多くの日本人に、あのコマーシャルを見て意味も分からずに、また思いを巡らせることもなく、ただただ、あはははと笑っているだけであって欲しくありません。また、表面的な狭い意味だけをとらえて、無意味な対立をして欲しくもありません。

 郡部からの人口流出。それは、長い時をその地で生きて来た、所謂、血統的に純粋な土着民の流出というだけでなく、それとともに、何千年の時をかけて継承してきた日本の伝統的な道徳観の流出でもあります。
 かつては堅固であった地域社会の弱体化とともに、これまで農村漁村で受け継がれてきた伝統や文化が果たす機能や活力はだんだんと低下し、世界から賞賛される日本の背骨は弱まっていくばかりです。

令和の時代の始まりを機に、今一度「日本」「日本人」をひとり一人が振り返り、世界や人類にとって必要とされる、また、なくてはならない「日本のあるべき姿」を考える必要があるのではないでしょうか。

で、そのために、我が地域が担う役割こそが、世界における、日本における、我が地域の「存在意義」ではないでしょうか。

さらに、平成20年11月10日のこのブログの記載です。

学校活動や地域活動、また、色々な団体の活動に参加して、課題等を伺っておりますと、『根っこ』は、同じところにある様な気がします。
 その『根っこ』とは、山折哲雄  国際日本文化研究センター名誉教授が説かれる『良質な集団主義』が揺らいできたことにあると思います。
 氏曰く『アングロ・サクソンの文明観にある超越神信仰と契約の精神、いずれも存在しなかった日本では、国家や民族を形成していくためには、「人間とは信頼すべき存在だ」という人間観が必要だった。ところが、人間は毎日の様に裏切る。そのジレンマを乗り越えるために、日本的な倫理が新たに作られた。その一つが、良質な集団主義だ。』

 私は、この『良質な集団』とは、お互いの信頼関係の上に成り立つ助け合いの社会、すなわち、かつて日本のどこにでもあった地域社会そのものではないかと思います。信頼関係は、お互いをよく知らなければ成り立ちません。
 農作業や祭り、冠婚葬祭等々、かつては、日常生活の中にその機会はいくらでもありました。『良質な集団』は『信頼』を育む。教育・福祉・文化・ありとあらゆる部門で。

 我々のこの地域では、まだまだそう言った人間関係が残されていると思います。『田舎の付き合い』の担うべき意義の本質は『良質な集団』の堅持にあるのかもしれません。
 『良質な集団』であれば、殊更に「参画と協働」「ボランティア」等々と叫ぶ必要はないのでしょう。なぜなら「昔からしてるやん」という事です。

 地域の色々な活動は「地域の活性化」であり「良質の集団」づくりであると思います。先祖が築いてきた『田舎の付き合い』そこには、深い知恵がある様に思います。

「安全・安心なまちづくり」の中で、防災や防犯の観点も含め「絆づくり」が重要とされています。

地球規模の気候変動等で、世界中で大災害が発生しています。
これらによって社会が混乱した状況下で、人々はどのように振る舞うべきか。

災害列島で幾世代を重ね、生き続けてきた日本人。
この営みにその答えがあるのではないでしょうか。

さらに、約8年前の平成23年5月27日、私は、観光協会の総会で私は次のような挨拶をさせていただきました。

『急(せ)いては事をし損ずる 篠山市市名変更について』

 この問題は、単なる感情論で終わらせてはなりません。
 しかし、今のまま、ことが進めば、「今の財政状況で、そんなことしている場合か」「旧町の対立が再燃する」「丹波市への仕返しだ」と言った、感情論が先にたつ、過去ないし現時点しか見ていない、極めて限定された論議の下で、「篠山市」に固定化され、「市名変更」の議論さえ封印されてしまうのではないかと懸念しています。

 私は、「政治家の一番大きな責任は何か」と問われれば、それは未来への責任だと答えます。

私は、将来この地域を担う人々の生活にまで、この問題は、大きな影響を及ぼすと考えています。ですから、未来への責任を有する政治家として、この大問題が将来を見越した議論が展開されないまま終息し、封印されてしまうことになれば、この先50年の後悔を残してしまうことになります。
 一番大切なのは、「市名を変更する・しない」それぞれの立場から、将来を見据えた議論が展開されなければなりません。
 しかし、今のままでは、それをわずかな資料で、市民各自にてんでんバラバラ議論させ、その結果に、意思決定までを委ねてしまいかねません。

 そこで、比較的この問題に関心が高く、観光業を生業とされておられる、観光協会の皆さんに、この時間をお借りいたしまして、私の考えの一端を紹介したいと思います。

 外から見た、丹波篠山のイメージは、30年前なら、田舎の代名詞でした。どちらかと言うと、「田舎もん」と小馬鹿にされる意味も含めて。
 この頃篠山に残った人は、長男としての跡取り等、義務的残留者がほとんどです。社会も“向都離村”的な価値観にどっぷりつかっていました。
 最近はどうか。様々な社会現象の中で、大きく価値観の転換が始まっています。
 この様な社会の潮流と、同時に、特に、伝統とか文化、風景、環境など、クオリティーの高い分野の情報発信に、観光協会はじめ、関係者の皆さんが、先を見越し、力を入れられた結果、いまでは、丹波篠山のイメージも大きく変わってきています。
 また、一方では、このイメージは丹波地域全体のものとして、定着しつつあります。

 来るべき地方分権時代を見据えた広域連携はもちろん大切です。
 しかし、その中でもさらに際立った、確固たる“核となる地域”をつくっていこうとすると、情報通りのまちづくりをしていかなければなりません。客寄せに展示してある料理と、実際の料理が大きく変わっているような店では、客は二度と来てくれません。イメージ以上の商品の提供と同時、更なるPRも積極的に展開していかなければなりません。
 「それと市名がどう関係有るんだ」と仰る方もあると思います。また、「篠山をもっともっとPRすればいいではないか」と仰る方もあると思います。
 先ほども述べましたように、丹波篠山の全国的な知名度、イメージもあって、広く知られるようになった“丹波ブランド”。
 この“丹波ブランド”のなかで、更に“丹波篠山ブランド”の付加価値、その優位性を保持し続けるためには、「丹波篠山=篠山市」との全国周知は欠かせません。然し、それには相当の経費が掛かるでしょうし、すでに、掛けている団体等もあります。
 丹波篠山はすでに、そこそこの営業力があって、全く新しい名前を付けようとしているのでもありません。
 市名を丹波篠山にすることによって、インター名また駅名も変えやすくなります。更には、全国の地図は、我々の持ち出しが一銭も無くても書き変わります。これらの効果は、測り知れません。
 更には、市名に全く関心がない多くの市民を無意識のうちに営業マンとして活用できます。
 例えば、市民一人ひとりが出される年賀状だって、『丹波篠山』全国周知の広告になります。各人の名刺もそう。住所が記載されるものは全て、勝手に『丹波篠山』をPR、すなわち地域営業ツールになります。
 皆さんにとって、さらに皆さんの生業にとって、これがマイナスに働くとは思えません。
 良い面、悪い面含め、地域間競争の激化が予想される地方の時代、京丹波も含め丹波地域で広く連携していくことは、当然です。然しながら、基礎自治体は、それぞれが育んできた“資源”をしっかり磨き、また、しっかりと守り、お互いが切磋琢磨していくことも重要です。
 そこで、将来においても、この地域を持続的に安定したものにして行こうとすると、丹波篠山のクオリティーをさらに磨き上げる必要があります。
教育も農業も商工業も、老いも若きも、市民生活、市民の日常そのものも、この方向に向けていかなければなりません。
そうすれば、おのずと地域のカラーが安定し、そこに魅力を感じる人・モノ・カネが集まります。
この下に集まる人・モノ・カネは共通の価値観のもとの集約ですから、 

 その人は、その価値観を高めるため、しっかりと協力してくれるでしょう。
その物は、その価値観をさらに高めるためのものでしょう。
そのカネは、その価値観を高める為の生きたお金になるでしょう。

 こう言った相乗効果が、さらにわが故郷を確固としたものにし、絆深く、変化に対応しながら生き残ってきた、日本の社会をさらに後進へとつなげる事ができるのではないでしょうか。

この新たな時代の幕開けに際し、丹波篠山市が、世界にとって、日本にとって、次世代にとって、なくてはならない地域となるよう、引き続き

行動は明日のために ~ 力強いふるさとづくり~

に邁進する所存です。

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