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活動報告ブログ - 2014年1月

2014年01月18日(土)

小野田寛郎氏逝く

 1月16日 小野田寛郎氏がお亡くなりになりました。

 終戦後、約30年を帝国軍人としてフィリピンのルバング島山中で過ごし、昭和49年3月帰国されました。
 その帰国の模様はテレビ中継され、その視聴率は45.4%とのこと。

 当時私は8歳。
 うちの家でも皆がテレビを囲んでいたのを覚えています。
 また、帰国の様子を見ながら祖父や父母が泣いていたのも覚えています。
 今から考えれば、子供らは見せられたのかもしれません。

 母の兄はシベリアでの抑留を経て帰国しました。
 帰宅した時の様子を母に聞いたことがあります。

 母の祖母が山で作業中、一人の兵隊が家に向かって歩いているのを見つけ、「うちの子やったらいいのに」と思いながら見ていたこと。
 幼少の母が、炬燵に入っていたら、いきなり「ただいま」と帰ってきたこと。
 出征時に半分のみ食べた梅干しの残り半分を食べたこと。
 家じゅう大喜びであったこと。

 縁者には戦死した者もいます。

 戦後30年近くを経て帰国を果たされた小野田少尉の姿に、当時のそれぞれの思いがよみがえったのでしょう。
 その後暫くして、母が小野田さんの著書『戦った、生きた、ルバン島30年 少年少女におくるわたしの手記(講談社昭和49年)』を「読め」と買ってきました。

 私はこういう家庭に育ちました。

 子供の頃、周りの大人から戦時中の話をよく聞きました。
 当り前ですが聞く話はすべてが、「やった」と過去形です。
 過去の話は、聞くことは出来ても、ライブで見聞きすることは出来ません。
 しかし、テレビ中継を通してではありますが、小野田さんは、私が初めてこの目で見た『現役の日本兵』の帰国場面でした。

 フィリピンでの投降式での振る舞いや、帰国時の様子、また、それを見守る大人の様子等々を目にした時、「当時の人」を見る事が出来ました。

 私にとって、「小野田少尉帰国」は、たとえごく一部、ほんの一片であったとしても、「あの時代」を目にすることが出来た貴重な体験だったと思います。
 『百聞は一見にしかず』

【私は「軍人精神の権化」か、「軍国主義の亡霊」かのどちらかに色分けされていた。私はそのどちらでもないと思っていた。私は平凡で、小さな男である。命じられるまま戦って、死に残った一人の敗軍の兵である。私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男である。(小野田寛郎)】

 帰国間もなく、小野田さんは政府からの見舞金や寄せられた義援金の全てを靖国神社に寄付されています。
 それは、「少し遅れて帰ってきた、死に残った一人の敗軍の兵」の素直な気持ちであったと思います。

 歴史は、一人ひとりの命の積み重ねであることをしみじみと感じました。

 ご冥福をお祈りいたします。

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